10周年記念特別演奏会

シンディの創立10周年を記念して行われた演奏会。
オープニングの演出(ビデオの演奏と実際の演奏をリンク)や「ファンティリュージョン」でのブラックライト演出が大好評。演奏会終了後はお世話になった方々とパーティも行いました。

ここではパンフレットから挨拶、お祝いの言葉を抜粋して掲載しました。

お祝いの言葉へ
プログラムへ

『文化としての吹奏楽』

セントシンディアンサンブル代表 福島秀行

 現在の吹奏楽界には非常に不満があります。日本のアマチュア吹奏楽は、レベル的には世界一だと言われています。確かにそうかもしれません。小学校から大人のパンドまで、プロのオケでも演奏至難な曲をどんどんやってしまいます。しかし一方それは、コンクールの過当競争が生んだある意味無理に引き上げられた偽りの演奏レベルということがいえます。まったく、コンクールでなければそんな難しい曲を日本中のパンドが演奏するはずないのです。
 また日本の吹奏楽は、中学・高校のクラブ活動を中心に考えられているため、どうしても教育活動の一環としてしかとらえられない関係者が多すぎます。まあいえば教育の一手段としての吹奏楽という考えが根強いわけなのです。ぽくはこの吹奏楽界に巣くうコンクール偏重と教育第一主義が、未来の吹奏楽界を考える上での大きな2つの間題点だと考えています。誤解のないように言っときますが、スクールバンドに教育的な考えは当然必要です。しかし現状の吹奏楽界が、スクールバンド=教育、コンクール=競争という狭いワクにとらわれているかぎり、大きな音楽文化としての吹奏楽というものが世の中に認められていく、拡がっていくということが不可能だとぼくは考えているのです。
 そうです。吹奏楽は文化なのです。それは趣味として個人的に完結するものではなく、教育の手段でもなく、もちろん勝ち負けでもない。広く多くの人々の心に届くはずの、真の音楽文化なのです。“吹奏楽は文化”この視点を意識することがこれからの吹奏楽、特に我々のような一般バンドにとっては非常に重要なのではないでしようか。住む場所と食べ物さえあれば人間は生きて行けるように思えますが、誰もがわかっているように人間はそれだけでは生きて行けません。生活の豊かさや心のゆとりかどうしても必要なのです。都会のビルの谷間に公園が必要なように、町には図書館が求められるように、世の中に吹奏楽団か必要だと恩ってもらいたい。それがぼくの願いです。

 シンディ10周年に関係ない話を延々書きつらねましたが、この10年間は王寺町関係者、橿原市関係者はじめ、たくさんの方々にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありかとうございました。またファンクラブの方々をはじめ、ぼくたちのつたない演奏を熱心に聴いて下さった全ての皆さんに心から感謝いたします。皆さんの拍手によってどれほどぼくたちが勇気づけられ、励まされたかわかりません。
 まだまだこれからも“挑戦し続ける吹奏楽団・シンディ”をどうかよろしくお願いいたします。

[このページの先頭へ]

『ハメハメハ秘話』

セントシンディアンサンブル指揮者 萩岡將

 シンディが10周年を迎えた。めでたいことだ。ところが、私ときたら指揮者という要職にありながら、この10年間たいしたことは何一つしてないばかりか、人様に迷惑ばかりかけてきた。この場をお借りして、お礼とお詫びを申し上げます。さて、みなさんは、「南の島のハメハメハ大王」という曲をご存じだろうか。シンディのコンサートでは、アンコールの一番最後によく演奏される、メンバーが何人かステージの前に出てきて、恥ずかしそうに歌ったり踊ったりするあれだ。何かといえばハメハメハで、もう何回演奏したか数えきれない。ハメハメハの歴史=シンディの歴史ともいえるすごい曲なのだ。そもそも、ハメハメハの歴史は、どこかの幼稚園で漬奏するときに、園児たちも一緒に歌える曲をということで、「萩岡さん、アレンジしてください」と、ピアノの楽譜を渡されたことに始まる。実は、それ以前に私は、すでに“NHKみんなのうた”でこの曲を知っており、水森亜土氏のボーカルやポリネシアンリズムが素敵なアレンジにいくばくかの魅力を感じさえしていた。その時の幼稚園での演奏はどうだったのか、園児たちが喜びのあまり歌い踊りまくったのか、恐ろしさのあまり泣き叫んだのか、今となっては、その様子は忘却の彼方だ。ただ、それ以来アンコールの最後によく演奏されるようになったことは確かだ。いつのころからか、メンバーが何人か前に出てきて、歌ったり踊ったりするようになった。それが、いつごろからどんな理由で行われだしたのかは、これもまた忘却の彼方だが後世の歴史家が、ビデオテープ等の史料を子細に検証することによって明らかになるだろう。さらに、間奏のとき「フー、アロハー」と水森氏が叫ぶのも、本来は譜例1のような指示がほとんどのパートにあり、全員で叫ぶアレンジになっているのだが、これまたいつのころからか、一人が前に出てきて「フー、アロハー」と叫ぶ大変恥ずかしい演出が行われており、そのほとんどを山田元樹氏と私で担当してきたという大変情けない事実があるのである。おまけにハメハメハは4番まであり、3回も「フー、アロハー」と叫ぶのは、あまりに恥ずかしいということから、2回は、サックスを吹いてお茶を濁し、1回だけ死ぬ気で「フー、アロハー」を絶叫する形態が始まり、現在に至っている。しかし、踊りを踊ったあとわずか2小節間のソロをばっちり吹くのは至難の業で、成功率はわずか6%であり、ソロ失敗の恥ずかしさが加わり、何ら恥ずかしさは軽減されていない。

 不思議なことになぜかこの曲は、福島秀行氏が指揮することになっており、いつも「フー、アロハーと言うのはもうやめよう」と進言するのだが、彼は、「いいえ、それでは画龍点睛を欠きます」などと難しいことを言って、絶対に許してくれないのである。また、この曲について、内部告発によると、チューバの皆さんは、本来はフアンキーかつトロピ力ルかつノーブルな、譜例2のようなパッセージを演奏すべきところ、疲れているときはたとえそれが本番でも、譜例3のような鈍重なパッセージに任意に変更して演奏しているらしい。さらに驚くべきことに、チューバのパート譜は、すでに散逸して現存しないという。しからばどうやって演奏しているのかと問うと、「だいたい暗譜しているが細部は霊感の赴くままに演奏している」らしい。また、別の内部告発によると、打楽器の皆さんの演奏が、本来のポリネシアンリズムから、除々にサンバ化している事実があるという。道理でアゴゴが「かんかんこん、かんかんかこん」と鳴り、ドラムが「どんどどん、すどんどどん」と鳴っていると思つた。また、別の内部告発によると、踊りもずいぶん変化してきているらしい。「ハメハメハー」でふにゃふにゃのフラダンスをするところは、最初から変わってないが「ハメハメハメハメハー」は、以前はなぜかドラゴンボールの踊りをしていた時期があったり、そのときどきで、かなりいきあたりばったりに決められているという。また、最近では、若い人たちのあいだでなんとかいう難しいステップを取り入れようという動きもあると聞く。ほしほしと考えてみるに、シンデイがなんとか10年間続いたからこんなにハメハメハが変わってきたのでありこれらのハメハメハの変化は、シンディにとって、ちょっと宝物的・勲章的存在ではないかなあ、と勝手に思ったりしている。とにかく、ハメハメハをアレンジしたときには、こんなことになろうとは夢にも思っていなかったのだから、ハメハメハをこんなに変えながら、自らもどんどん変わってきたシンディのパワーに思いを巡らさずにいられない。どんどん変わつていくことがシンデイの魅力のひとつだし、シンデイらしさだと思う。これからも、既成の「シンディらしさ」にとらわれず、どんどん変わっていってほしいし、また、どんどん変えていきたいと思う。20年目にはどんなハメハメハになっているか楽しみ、楽しみ。

 譜例1          譜例2          譜例3


[このページの先頭へ]

[HOME]